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モドル | ススム | モクジ

● ひとり --- 名前を呼んで ●

「畔、今日の晩ご飯は何がイイ?」
 不意に何の脈絡もなく、脳天気なタカモトの声が響いた。昼食前の四時間目、体育の授業中の体育館に、だ。
 バレーコートの敵側から不意に投げかけられた質問に、場内の視線が一気にこちらを向く。ラインを越えて出ていったビーチボールを、誰も取りには行く様子すらなかった。
「あ、在裏ちゃん、最近タカモトくんと仲イイと思ったら、もうそんな関係に?」
 美由紀の呟く声に、ようやくあたしは今の状況を思い出す。
 新入生歓迎の名の元に、男女混合のビーチバレー大会があるのは、今から丁度二週間後だ。折角、そのクラス練習に充てられた時間だっていうのに。おそらく今誰の頭の中からもそのことはすっぱり抜け落ちてしまったことだろう。
「違う! そんなじゃないの。ね、タカモト」
 念を押すように睨つけると、タカモトは含みのある「にっこり」を顔に焼きつけた。
 ……イヤな予感がする。
「うん、畔がそう言うんなら、そうなんじゃないのかな」
「バ、バカ! 誤解されるような言い方しないで」
「ひどいな、ソレ。オレと畔の仲じゃん」
 辺りは一瞬のうちにどよめきに包まれた。
 気のせいか、一部の女子からの視線がつき刺さるように痛い。
 確かに、タカモトが引っ越してきてからはずっと夕飯を一緒に取っている。だけど、それは半ば強制的にヤツに仕組まれたことだっていうのに。
 ただでさえ、慣れないマヨネーズ断ちのせいで、イライラしてる状態だ。確かに、朝昼のご飯は自由だけど、それでも夕飯は完全にタカモトに統制されている。
 タカモトは周囲の空気を読めないのか、完全に読んで面白がっているのか、ビーチボールを取りにいった。
「ほらほら、こんなことしてる余裕ないじゃん。さっさと練習再開しなくちゃ」
(誰のせいだ!)
 心の中で精一杯悪態を付き、しぶしぶ練習に戻った。

 

 しかし。
「ね、美由紀、さっきからあたし、狙われてない?」
 女バレの子のアタックが、あたしの腕をかすった。
「そだね、在裏ちゃん狙われてるね。お陰でわたしは楽だよ」
 味方からのトスがずれて、顔面に当たる。
「こういうことされる覚え、ないんだけど」
 力任せのサーブが……(以下省略)。
「あ、さっきのじゃない」
 思い出したようにぽんっと手を打って、美由紀はこちらを向いた。いくら狙われていないとはいえ、試合中に良い度胸だ。
「?」
「在裏ちゃんは知らないかもだけど、ああ見えて、タカモトくん人気あるんだよ、女子に」
「はぁ?」
 思わず大声で言ってしまい、口を押さえる。
 美由紀は少しだけ苦笑を浮かべながら、あたしを見た。
「誰とも群れないところがいいんじゃない? わたしはセンセ一筋だから、よくわかんないけど」
 きーんこーんかーんこーん
 間抜けに響くチャイムに、あたしはその場にへたりこんだ。
 球技は得意でも苦手でもない。でも、こう一点集中で狙われると、キツイ。
「うわ、足ンとこ、アザになってるぞ」
 タカモトが駆け寄ってきたので、思い切り手を引いて、支えにして立ってやる。でもヤツはよろけるでもなく、あたしを支え起こした。
「誰のせいだろうね」
「さあ?」
「自覚ナイの? こっちは大迷惑してんだけど。さっきのだって、タカモトが一言否定してれば、何にもなくおさまったのに」
「でもサ、否定すればその分だけ余計に邪推されるぞ」
 言い返せなかった。確かにそうかもしれない、一瞬でもそう思ってしまったあたしがいたから。
「それより、結局どうするんだ、晩メシ」
 ……どこが、誰とも群れないんだろうね?

 

 昼食時間になっても、怒りはいっこうにおさまらない。
 あたしは購買で買ってきたサラダに、持参したマヨネーズを絞り出しす。プラスティックフォークでかきまぜた。
「ね、在裏ちゃん」
「何」
「今、機嫌悪い?」
「そうだけど、……どして?」
「気づいてないかもしれないけど、……怒ってるとき、マヨネーズの量増えるんだもん」
 美由紀に言われてサラダを見る。と、これでもかというほどにマヨネーズだらけだ。野菜になると、何が入っているのかすら判別不能になっていた。

 

「畔さ、何もリクエストしてくれなかったから、結局手抜きですき焼きにしちまった」
 午後六時を回るころ、いつものようにスーパーの袋を持ち込んだタカモトがやって来た。 手際よくガスコンロを用意して、あっという間に食事の支度ができる。
 今日の昼にあったことを覚えてもいないようなあっけらかんとした態度に、一気に毒気すら抜かれてしまった。
「ご飯はもう炊いてある?」
「あるけど……すき焼きって高くない?」
「大丈夫。メインは豆腐だから」
 さいばしで鍋に具を入れながら、タカモトは言った。毎度毎度のことながら、コイツの手際の良さは目を見張るものがある。
「……それはそれで寂しいね」
「そうか? 豆腐って栄養も豊富でウマイ……って、畔、ネギよけるのはやめなさい。しらたきも!」
「だって、味、ナイし。マズイじゃん。割下は絶妙ですっごく美味だけど」
 そう言うとタカモトは、割下はオレの特製だから美味くて当たり前、とうそぶいた。それから、あたしが食べるのをじっと見ている。
「何?」
「ほんと、畔って好き嫌い多いよな。親御さんとかに何か言われなかったか?」
「別に。……あの人たち、あたしに何の興味もないから。それに、マヨネーズさえ使えば、何でも食べれるし」
「それが一番いけないんだって。でも、畔、昔からマヨラーだったのか?」
「そういえば、……ここ二、三年で酷くなったかな」
「それさ、多分だけど、何か別に原因あるんじゃねーの? それだったら、いくらオレがぎゃーぎゃー言っても無駄になっちまうけど。一回さ、考えて見れば、原因。畔自身で」
「あたし自身で?」
 タカモトの言うことにも一理ある。いつから、どうして、あたしはマヨネーズを手放せなくなったんだろう。
「そ。本人が直そうって自覚ないと、それこそいつまでたっても直らないからさ」
「でも、あたしの偏食、相当のもんだよ。……直る気しない」
「そっか? オレは大丈夫だと思うぞ」
「人事だと思っていい加減な」
 口をすぼめて睨みつけると、タカモトは柔らかい笑みを浮かべた。
「違くて。畔さ、オレと好み似てんだよ。ほら、ジョビジョバ好きで、しゃくれフェチで、景吾くんにラブ。な、こんなにも共通点あんだから、きっと味覚も合うって」
「……最後のは違うけどね」
「またまた、意地っ張りだな」
 少しだけ――ほんの少しだけだけど、タカモトを好きだという女の子たちの気持ちがわかった気がする。一度打ち解けてしまえば、すごく付き合いやすいヤツだっていうのはよく分かった。……まあ、今日みたく公衆の面前でふざけるのは、やめて欲しいけど。
 考えていると、タカモトは後片付けを始めた。あたしはここ一週間分の食費を、封筒に入れて差し出す。
「いいよ、いらない。オレが好きでやってるんだし。それに、いつもジョビジョバのビデオ見せてもらってるしな」
 いつもこの調子で、タカモトは決して受け取ってはくれなかった。こう毎日毎日続いたら、二人分の夕飯代だって馬鹿にならないだろうに。
 そういえばこれだけ一緒に居るようになっても、あたしはタカモトについて何も知らない。ジョビジョバが好きで、しゃくれフェチで、樋口とラブラブ(?)。友達いなくて、でも人に絡むのが好きで、料理の腕は自称一流。あたしが知っているのはそれくらい。あとは何も知らない。
 そういえば、一年の時も同じクラスだったような気がする。でも、全然目立たなくて、今よりずっとおとなしかったイメージが……。
「んじゃ、オレ帰る」
「あ、うん」
 玄関から聞こえたタカモトの声に、現実に引き戻される。
「あ、夕飯いつもありがと。美味しかった」
 玄関に向かいながらそう言うと、タカモトは奇異な物を見るような目でこちらを凝視してきた。
「な、何?」
「……オレ、畔の感謝の言葉、初めて聞いた気がする」
「そう……だっけ?」
「そだよ。畔、いっつもふて腐れてて、『来たいんならまた来れば?』ってな態度ばっかだったじゃん」
 言い返せなかった。確かにそれはその通りで、今までタカモトに謝意を示すことなんてなかったから。
「あ、そだ。明日は何食べたい? 学校で聞くとイヤがるだろ」
「急にいわれても分かんないよ。今お腹いっぱいだし」
「そうだなー、……畔さ、割と麺類好きみたいだし、そこらへんでいいか?」
「あ、うん」
 その時、窓の外から選挙カーの大音量が響いた。あたしは耳を塞ぐ。
『〜と道仁を宜しくお願いします』
 徐々に小さく、どこか外れた音になり、あたしは耳から手を離す。
「うるさいなぁ。政治についてもいいけど、先に人の迷惑考えて欲しいよ。そういえば今の名前、この前まで参議員やってた人だよね。どうせまた当選するんだろうね。ま、あたしたちには、あんまり関係ナイけどサ」
 返事はなかった。
 疑問に思い、タカモトを振り返る。と、ヤツは青い顔をしていた。
「タカモト? 気分悪いの? 大丈夫?」
 僅かな間、目が虚ろだった。少しして、ようやく焦点があたしに合う。
「あー……っと、畔? ごめん、オレ明日の献立のことで頭いっぱいいっぱいだったから」
「そう? なら、いいけど」
「んじゃ、今度こそ帰るから」
 そう言って、タカモトは隣へ帰った。

 

 タカモトが帰った後、湯船の中でも、ベッドに入ってからも、ずっと考えてみた。
 天井を見ながら、ベッドの上をゆっくり転がって。
 どうしてマヨネーズが無いと、物が食べれなくなったんだろう。
 それは食べ物が――食事自体が味気なくて、段々義務みたくなってるせいかもしれない。食べたいから食べるんじゃなくて、食べなければ死んでしまうから、仕方なく食べる。
 だったら、どうして食事は味気ナイんだろ。
 どうして……。
 ……
 夕飯をお腹いっぱいに食べすぎたからか、ビーチバレーの練習で疲れていたからか。気づいたら睡魔に負けていた。



「……と、いうことで、一人一枚ずつくじを引いて下さい」
 クラス委員長の声に、完全に目を覚ました。昨日夜中までずっと考え込んでいたせいか、イマイチ寝足りなくて、頭がすっきりしない。
「ね、美由紀」
 後ろの席の美由紀に声を掛ける。
「今、何やってんの?」
「くじ引き」
「それは分かってるけど、いったい何の?」
「在裏ちゃんひょっとして寝てた? 今はHRの時間で、今度の新歓バレーの係決めのくじ引きやってるの」
 そこまで聞いてようやく思い出した。今日決めるのは、放送係二人に、炊事主任二人。四十人クラスに四人だから、確率は十分の一だ。そんなの当たるはずがない。
 教卓の上に置かれた箱の中にくじが入っているらしい。みんな列を作ってそれを引いていた。
「どーせ、あたしには関係ないね」
「わたしは……炊事主任やりたいな」
「どして。結局炊き出しは全員でやるけど、炊事主任なんて雑用係じゃん。面倒くさくない?」
「でもね、……センセが担当だから」
 聞くんじゃなかった。
 美由紀はくじ引きの列に並びに行った。
 こうなったら、何が何でも炊事主任にはなるもんか。そう意気込んでいると、タカモトが二つのくじを持ってこちらにやってきた。片方は既に開いてあり、もう片方はまだ閉じてある。
「畔、こーいうの運なさそうだから、引いといてやった」
「ありがと。でも、係に当たってたりしたら、末代まで祟るよ?」
 ホチキスで止められた八つ折りにされた紙をタカモトは丁寧に開き、……それから動きが止まってしまった。
「……ごめん、畔、祟られたかも」
 見ると、そこには赤文字で大きく「炊事主任」と書かれていた。
「交換して」
 すぐにタカモトのくじを取り上げる、と……。
「何、コレ」
 思わず自分の目を疑った。そこには、同じように赤字で「炊事主任」と書かれている。 タカモトは居心地悪そうに、軽く頭をかいた。
「いや、実はオレも炊事主任決まってて、サ」
「いーな、在裏ちゃん。センセと一緒でいーな」
 戻ってきた美由紀は、白紙のくじを持っていた。あたしの持った二つの「炊事主任」当たりクジを覗き込むなり、いいな、を連呼し始める。
「そんなにやりたいならさ、交換しない?」
 持ちかけると、美由紀は目を輝かせた。
「ホント? ……でもいーや。当たらなかったってことは、縁が無かったってことだもん。在裏ちゃんやりなよ」
 ……最悪。
 美由紀はこう見えて、かなりの頑固者だ。一度こうと決めたらてこでも動かない。
「ま、いーじゃん、決まっちゃったんだしサ。仲良くやろーって」
 タカモトは脳天気にそう言ってのけた。
 誰のせいだ、そう叫んでやりたかったけど、昨日の今日で注目をあつめたくないから、やめといた。
 と、いうわけでみんなも帰った放課後の教室。炊事主任のあたしとタカモト+樋口の三人でミーティングを始めることになった。

 

 しかし。
「一本がいないね」
 閑散とした教室に、樋口の声が響いた。あたしと樋口の二人きり。タカモトの奴、何考えたのか、一人で先に帰りやがったらしい。
「後で思い切り厭味と文句言っておきます」
「や、いいよ。それより、畔さんと一本が仲良くなったみたいでよかったよ」
「あたしとタカモトが? 仲、良くなんかありませんけど」
「そうかな。普段あんなに人見知り激しいあいつが、よくよく懐いたもんだって思うけど」
 その言葉には樋口のタカモトに対する親しみがにじみ出ていて、何だか嫌な予感がする。ひょっとしたら、ひょっとするのかもしれない。恐る恐る、前から疑問に思ってたことを口に出す。
「先生、その……タカモトとはどういう関係なんですか?」
「幼なじみだよ。年の離れた、ね」
 即答だった。
 思いもよらない答えだった。
 そうか、あたしはてっきり……。
 樋口は少しだけ俯いた後、淡々とした調子で話を続けた。
 もともと家が隣同士でね。一本の家は……少し特殊な家庭だったから、あいつは家に帰るのが大嫌いだったんだ。よく、家出だってうちに泊まりに来たりして。
 一本が僕の勤めてる学校に進学したいって言い出した時は、正直、複雑な気分だったよ。一本が僕に懐いてるのはよくよく分かっていたけれど。でも、本当にこのままでいいのか、って気持ちもどこかにあった。
 何かといって、手を差し伸べてしまったのは僕の方だ。けれど、このままじゃ一本は僕だけしか見えなくなりそうでね。
 そこまで話した時、樋口は思い出したように顔を上げた。
「そういえば、決めなくちゃならないことがあったんだっけ。ごめんね、畔さん。少し……喋りすぎたみたいだ」
 それから先は、割とスムーズに話合いは進んだ。だけど、あたしはどこか上の空で、樋口とタカモトのことを考えていた。

 

「畔、おかえり。今日は冷麺にしたよ。わりかし暑くなってきたし」
 家に帰ってドアを開けるなり、エプロン姿のタカモトがあたしを出迎えた。何が楽しいのか、満面の笑みを浮かべて。あんまりにも腹が立ったので、ヤツのホッペタを思い切りつねってやる。
「い、いひゃい、やめへ」
「カバン見てみたら鍵無かったから、もしかしたらとは思ってたけど。……本当にそうとは、ねえ……。こういうのを不法侵入って言うの知ってる?」
 手を放す。タカモトは赤くなった頬を押さえるものの、――でもさ、こういうのって新婚サンみたいでなんかよくない? とかなんとか()かしやがった。今度は靴のまま思い切り足を踏みつけてやる。
 タカモトは声も出さずに蹲った。
「……なんで今日帰ったの?」
 タカモトはしゃがみこんだまま、顔だけを上げ、こちらを向いた。
「ジャマ者抜きで景吾くんと話せば、畔もいい加減自分の気持ち認めるかと思って」
「そんな下らない理由でサボったの?」
「でもさ、オレ抜きで景吾くんと話したら、大分イメージ変わっただろ」
 靴を脱ぎ、奥の部屋に向かった。タカモトもお伺いだてするように後に続く。
 小さな声でさっぱり、と呟くと、タカモトはさも呆れたという声で、何やってんだよと吐き捨てた。
「さあ、何やってるんだろうね」
 机の上には、二人分の冷麺用の茹でた鶏肉やら野菜やらが用意してある。
 あたしはそれをぼんやりと見つめながら、今日の樋口の話を思い出していた。
「どうしてか、樋口と話したのは、あんたのことばっかりだったよ」
「オレの?」
 途端に、タカモトは頭に手を付き、部屋の入口にへたりこんだ。血の気が引いて真っ青な顔が、苦渋の色に染まる。
 タカモトのあまりに急な変化に、心配して駆け寄ろうとすると、手で制された。
「じゃあ、……聞いちまったんだ。オレの父親が政治家だとか、……そういうコト」
「え、タカモトのお父さんて政治家なの?」
「もしかして……知らなかった?」
 頷く。と、タカモトはいつもの軽い調子で、うわー、墓穴掘った、と呟いた。
「あたしが聞いたのは、樋口とあんたが幼なじみってことだけだよ」
「あのサ、この地区の前の参議院議員の名前……知ってる?」
「確か……一本(たかもと)道仁(みちひと)って。こないだ選挙カー通ったばかりだから覚えてる……ってまさか」
「そう、そのまさか」
「確かに、一本って珍しい名前だとは思ってたけど、タカモトがそうだなんて知らなかった」
「元は高い本って書いて『高本』だったんだけどな。一回目の選挙の前に、縁起がいいからって一本に変えちまった。戸籍上は元のままかもしれないけど」
「そんなこと、できるの?」
「できなかったら、オレは高いの方の高本のままだっただろうね」
 一本道(いっぽんみち)(おもいやり)だなんて、偽善染みた言葉、鳥肌が立つね。あの男には金と権力以外見えてないのに。タカモトはそう付け足した。
 だから、自分の名前嫌いなんだよ。一本存だなんて。一つの物しか選べない存在ってイミだろ。若しくは、一つの物に向かって進め。正しいモノが一つだけなんて、数学みたく割り切れることばかりじゃないのに。
 そこまで言い終えると、タカモトは立ち上がり、テーブルの前に腰かけ直した。
「……それ考えると、畔っていい名前だよな」
「あたし? どうして、ヘンな名前だよ? 小さい頃なんかそれでいじめられたしね。裏が()るだなんて、……普通、そんな名前子供につけないっしょ」
「どうして?」
 タカモトはそう言うと、あたしの目をまっすぐに見た。
「人間、裏があって当たり前じゃん。考え方変えて見れば、そういう裏道に逸れたアウトローな連中にも手を差し伸べられるようにっていう受け取り方も出来るだろ。オレの名前とは正反対で、可能性は無限なんだよ。……畔がいかに親に愛されてるのか、よく分かる」
「愛されてなんかないよ」
「愛されてるって」
「本当に愛してたら、自分たちはさっさと自殺して、あたし一人だけ取り残すにするなんて、できないはずでしょ」
 顔の筋肉が醜く歪むのが、自分でもよく分かった。タカモトは何も言えないらしく、絶句する。
「おじさんが言うには、あたしの父さんや母さんは優しすぎたんだって。人の気持ちを考えすぎて、苦しんで苦しんで……そしたら死ぬことしか選択肢が残らなかったんだろうって。あたしはね。生きてて欲しかった。優しくなんてなくていいから、側に居てくれるだけでいいから。タカモトは、愛されて育ったからこそ、人を愛せるんだよ。……あたしにはわかんない」
 あたしは今まで誰にも言ったことのなかった、心の奥に溜まっていた言葉を吐き出していた。
 確かにタカモトが言うように、あたしは樋口のこと気にしてる。引っかかってる。でも、……これが恋愛感情かどうかなんて分からない。
 タカモトや美由紀が樋口を思ってる感情ってね、純粋でキレイすぎて。眩しすぎて。
 特に、美由紀見てると辛いんだ。あのコ、樋口のこと好きになってから、見違えるくらいキレイになった。泣き虫でいつもあたしの後ろ隠れてたのに、強くなった。なきそうになったとき、センセのこと考えると涙止まるの、なんて嬉しそうに。
 でも女が恋するとキレイになるだなんて大嘘。美由紀みたく恋を力にしていける人間も確かにいるけど、恋をする度にボロ雑巾みたくなる人間も確かにいるんだよ。
 だから余計に分からないの。この気持ちが本物なのか。こんなに醜くて卑しい感情が、本当なのか。
 自分が樋口をどう思ってるのかも分からないのに、樋口には自分を好きになって欲しいだなんて、……傲慢そのものだよ。
 前――半年位前までつき合ってた人にね、よく言われた。《もっと甘えて欲しい》って。でも、それが苦痛で苦痛で仕方なかった。《甘える》って何? 依存すること? そんなのあたしはイヤ。そんなあたしはイヤ。側に居るだけでストレスになった。
 明日会える? って聞かれた時、鳥肌立ったよ。どうして明日会わなくちゃならないの?昨日も今日も会ったのに、どうして明日も会うの? そう考えたら怖くなって、その日のうちに別れを切り出してた。
 ずっと好きだったはずなのに。つき合う前までは本当に一緒に居たいって思ったのに。でも駄目だった。
「畔ってバカだろ」
 黙って聞いていたタカモトがそう言った途端、後頭部に衝撃が走った。頭をどつかれたと気づくのに数秒ほど間が開く。
「何すんの!」
「恋愛感情がそんなキレイなもんだけのはずナイじゃん。ある種の卑しさや目論見なんて、誰だって持ってるもんだと思うけど」
「タカモトも?」
 凝視すると、タカモトは大きくため息をついた。
「畔さ、前から思ってたんだけど、何か勘違いしてないか?」
「?」
「確かに、オレ景吾くんのこと好きだけどさ。どうこうしようとか付き合いたいとか、そういう感情は皆無なんだから」
「そうなの?」
 タカモトは顔に苦笑を浮かべながら、頭をかいた。右手の中指の、くすんだ銀のリングが髪から出たり隠れたりする。
「そうなの! 景吾くんはオレにとって、父であり、兄であり、友人であり、……全てなんだ。だからって景吾くんにムカついたことがナイかっていったら、そんなことないし。喧嘩なんてしょっちゅうだし。それでも好きだって気持ちが少しでも残ってるなら、本物だと思っても差し支えないと思うけど」
 そこでやっとタカモトは冷麺の存在を思い出したらしく、小皿に取り分けてくれる。
 ちょっとのびちまったけど、味は美味いはずだから、タカモトはそう言って笑った。
 口に入れると、言われた通り麺はでろんでろんに伸びていた。でも、マヨネーズをかけたいとは思わなかった。ホントはちょっと不味かったけれど、味気ないとは思えない。
 タカモトは自分の部屋のようにくつろぎながら、テレビのリモコンを手にした。
「畔、『さるしばい』つけてもいい?」
「……聞く前に、もう再生してんじゃん」
「ははは、ま、いーじゃん。ほら、六角さんが犬に!」
 そうか。
 タカモトの声を聞きながら、不意に閃いた。
 あたしが今までマヨネーズをかけないと食事ができなかったのは、寂しかったからかもしれない。
 マヨネーズをかけることで、一人の食事の味気なさを誤魔化していただけなのかもしれない。
「タカモト」
「何?」
「あたし、頑張ってみる」
 何だか、完全にマヨネーズ断ちができるような気がする。マヨネーズに逃げずに、人や物事と向き合って。そうしたら、自分の本当にしたいことや気持ちが分かるかもしれない。
「? 何のことか、よーわからんけど。とりあえず頑張ってみれば?」

 タカモトは、わけがわからないと首を傾げ、不思議そうにあたしの顔を見ていた。
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